我々の部屋には夕食として赤い飯と塩が用意してあったが、誰れも口に入れない。部屋には日本の夏に使う夕涼み台程度の幅のベッドが四十近く並んでいる。一人一人が勝手にできるだけ小便ツボと大便ツボから遠いところに陣取る。その晩私自身どんな気持でべッドに横になったかもう記憶にない。四月十一日木曜日、この日から刑務所生活の日課が始まった。一名の看主と数人の監視人が我々の第三獄舎を受けもつ。英語、中国語、日本語、マレー語、タイ語、そしてタカラグ語のどれかを使って、ビルマ人から日常生活の規則を知ろうとしても、駄目であることを知り、互いの意思表示は手まねである。朝は六時起床、人員点検、水浴、飲水運びそして一日二回(十時と十六時ごろ)の食事が日課である。各国混成部隊の我々はそれぞれのビルマ在大使館と連絡を取りたいと英語のわかる役人に申し出たが拒否される。