マイケル・ジャクソンと柴玲顔は社会をよく映し出す

2011-03-05

韓国からの帰途、ノースウェスト051便のシートで私は2人の異国人の顔を思い浮かべていた。1人はマイケル・ジャクソン。彼の整形手術はあまりに有名である。自伝『ムーンウォーク』の中でも自ら鼻を2度変えてアゴにくぼみをつけたと語っている。60年代末「ジャクソン5」の頃のマイケルの鼻は、大きくてふっくらと横に広がっていた。今の鼻はつんと上をむいていて、鼻の稜線はその角で紙が切れそうなくらい(?)シャープ。もはや肉体の一部というより金属パーツのイメージだ。彼の整形は多民族国家アメリカの複雑な社会背景を抜きには語れない。ラジオ全盛時代から映像時代へ移りゆく中で、黒人ミュージシャンたちは居場所を失っていった。ビデオ全盛の80年代、MTVなどのケーブル局では白人のミュージシャンの映像ばかり流すようになった。スティービー・ワンダーですら、ポール・マッカートニーと共演することでやっと登場できた、という。しかし、マイケルは「ビリー・ジーン」(83年)でこの壁を突破した。白人とも黒人とも男とも女ともつかないものになってやろう。マイケルの変身に私はそんな壮絶な執念を感じる。「マイケルの甘いマスクが歪んできた!」と報じたイギリスの大衆紙『サン』の記事によれば、マイケルが何度も手術を重ねたために、鼻に移植した腸骨が崩れ始めているという。彼の身体改造は行くところまで行ったのかもしれない。テレビを眺めながらとまどう。マイケルの姿に国籍や性別や年齢を読み取ろうとして空回りする。超スピードで刻むステップ、不可思議なムーンウォーク、舞台の上のマイケルは「黒人」とか「男」などの「帰属」を超越している。中国人女性、柴玲。天安門事件で民主化要求デモを指導したため、最重要手配人物としてリストに載った彼女。手配書には特徴として「目が小さい」と記してあったという。事件後1年ほど地下へ潜り、90年4月、国外脱出に成功。しばらくぶりに夫とともにテレビに出た彼女の目は、切れ長の涼しげな一重ではなく、ぱっちりとした二重だった。厳しい追手をくらますために、二重の整形手術を受けたといわれる。各国の事情が見えてくる。イランでは、若い女性の間で鼻の手術が流行している、という。生活の隅々でイスラム教の戒律を守るよう強く求められるこの国では、「女性は公共の場でチャドルと呼ばれる服装で全身を覆うため、顔だけがクローズアップされることや、鼻の手術がステータス・シンボルのようになり、比較的裕福な家庭の子女が『流行に乗り遅れては』と整形医の元に走っていることがブームを支えている」(読売新聞2000年10月29日)。鼻の手術は350万リアル、日本円にして約4万6千円。公務員の月給が約3万2千円というから、手術は相対的にかなり高い。こうした手術が今、イランで流行している背景について、「イラン・イラク戦争の時にけがをした兵士や市民が形成外科手術を受ける際、政府が費用を負担したことが遠因」と記事は指摘している。戦争が終わり、平和な世が到来すると、戦争で発展した外科手術が、美容目的で応用され始める。戦争でけがをした多くの人が再建手術を受けた結果、顔を手術することへのタブー感覚が薄れ、美容整形流行の素地となったというわけだ。あるいはアメリカではリストラ回避策として40〜50代の男性の手術が増えている。米国形成外科学会が実施した調査によると、1997年に全米で脂肪吸引をした男性は、2万192人、まぶたの手術は1万4037人、シワのばしは5067人で、いずれも5年前と比べ2倍に増えた。「背景には、『若さ』が仕事上で大きな意味を持っていることがあり、リストラを回避する生き残り作戦とも言えそうだ」(毎日新聞1999年4月2日)さらに女性をふくめた手術全体を見ると、ベビーブーマー世代、日本でいう団塊の世代が約4割を占めるという。この世代が老いを気にする50代に突入し、若返り手術を受けるようになり、その結果、98年には手術件数が100万件を突破した。また、南アフリカでは、インターネットで美容外科手術を受ける権利を競売する動きも始まっている。「月曜日は胸、火曜日はしわ取りなど、手術内容は曜日ごとに決められ、競りは1ランド(約15円)から」(読売新聞2000年7月26日)。数年前、私自身が取材で訪ねたインドでも、経済成長とともに大都市では美容整形を受ける女性が出てきた、ということが話題になっていた。外見を改造する手術「美容整形」を通して、各国のさまざまな社会状況をかいま見ることができる。そこへ、日本の美容整形事情を重ねあわせてみる。来日したフランス人社会学者、ボードリヤールが、肉体、セックス、情報、文化、空間などは比較的この経済システムに組み込まれず、ある種の直接的な使用価値の自治を保ってきたが、今後は交換価値システムの支配をうけるであろう、と予言したのは、たった20年前だった。それからほんの数年の間に、肉体もセックスも情報も文化も新しい商品としての魅力をたたえながら、メディアの中を跳び回っていた。絶えずうつろっていく表層を追いかけ、戸惑い、いらだち息切れて、もはやこの身体以外に「私」だと信じられるものはないと思い、それなら「私」を最高の形に加工して標本のようにピンで止め、流転のゲームに永遠の終止符を打ってしまいたい…。私は日本の美容整形の現場に、そんな強烈な欲望を見ていた。

[参考情報]
http://www.saishou.net/column02.html


http://www.ievp.org/list02.html


http://www.genkoku.com/