一九四四年に出版された『火の昔』には、ごみと呼ばれるものを分類し、ごみと燃料の関係を取り上げて、次のように述べている。「ゴミというものの分類が、先ず必要なやうに言われて居りますが、田舎では大豊にその仕分けは付いて居ました。塵とか埃とかは湧き出して、自然に落ち付くのを待つより他は無いもの、芥は水に沈んで朽ちて段々と土になって行くもので、是等もしまいには農業の助けとはなりましたが、其處分には時を掛けるだけで、火とは何らの関係はありません。焼いて片づけ且つ利用しようとして居たのは、ゴミでありゴモクでありました。是には主として木竹の葉や小枝、藁屑その他の作物の殻類がありました。薪が不足するか又は責って金に換へられるとなりますと、斯ういうものもただ焼き棄ててしまわずに、その中から少しずつ焚きものに採用したので、薬や枯松葉を竃に燃やす上地は言うに及ばず、近年村落に著しく据風呂の多くなったのも、すべてこのゴミ・ゴモクの利用の進みであります。ところが、都會だけが場所が狭い為に、やたらにこのゴミと塵芥との三つを混同し、おまけに瀬戸物硝子の破片のような、あぶないものまでもゴミ箱に投げ込むので今までは始末が付かなかったのであります。……ゴミという言葉の起こりはわかりませんが、是は火に焚けば燃えるもので、今までは棄てて省みなかったものの総称のやうであります。ゴミの整理が燃料の増加になった実例は、数へ立てると中々ありますが……」柳田国男は、このように、ごみは燃えるものとはっきり言っているが、現在の日本のごみ問題を考えるとき、まことに興味深い解釈である。五〇余年前に田舎で生活していたころ、住まいの外の小屋にあった鉄製の据風呂(五右衛門風呂)を沸かすときには、木切れや古新聞などの雑多なごみを燃やした経験がある。このように、昔の日本の田舎では、ごみは堆肥や燃料として使うことで処理することができたが、人口が集中してきた都会では、ごみ箱に入れて役所が収集・処理する以外には、処理の方法はなかったのである。